Record

#12 俺僕の1ヶ月

自分のルーツ 

俺のアイデンティティは熊本に強く根付いているが、ルーツは鹿児島と宮崎にある。

先祖の方々のおかげで非常に興味深い家族間のつながりや価値観を持っており、非常に興味深く、また人と人との繋がりを感じる。

他者に対する人情や優しさは必然として育まれたようにも思う。

だからこそ、他人に対して冷たい「都会」で息をするのは孤独を感じるし、苦しさも感じる。

言葉の重さ

言葉の幅が広がったからと言って、その重さは変わらないことを強く自覚しなければならない。

法規的、専門用語的な堅苦しい言葉を扱う上で、何気ない会話で放り出される言葉の重量感が麻痺してしまっている。

気づいた時にはもう遅いんだ。

かと言って、言葉を出すことに消極的になるというのはコミュニケーション的に支障をきたすのであって、

常に心地よい言葉を発しながら、その重量感に感性を研ぎ澄まさなければならない。

研ぎ澄ますというより、軽く意識するだけで大きく変わってくると思うんだ。

熊本の祖父母

俺の祖父母は唯一無二である。

喧嘩も絶えないようだけど、根底には互いへの愛情がある。

俺が理想とするのはそう言った夫婦の在り方。

仕事も至極重要かもしれないが、

そのベースとなる家族愛や日々の暮らしは筆舌に尽くしがたい。

愛や日々の暮らしに自らのベクトルを持って

生きていくことはなんとも難しいことで、

それと関わる人々に伝える感謝は必須であるはずなのに

うやむやにされてしまう。

理想を追い求めすぎると、過剰な追求心は破滅を選ぶから

ほどほどにしたいが、将来の奥さんや子供にはこんな思いをさせない、という強い決心みたいなのは

必然と強く俺の心に根付いている。

家を継ぐ運命と意思

13の時、長男として家を継いで行くことにプレッシャーを感じ大号泣したのを覚えている。

そんなこと考えなくていい、あなたらしく生きていけばいい、という父の言葉は気休め程度にしかならなかったが、

すっとそんなプレッシャーを感じながら生きてきた。

父や母、祖父母がそんなことを言ってくるのではなく、自分の運命が生まれた時から決められている気がして本当に苦しかった。

なんやかんやあり、今は違う。

名字を変えていいと思っている。

もちろん本籍元からの非難は免れようがないから安易に口に出せないが、どこか自分の名字に対するプライドみたいなのはあんまりない。

鹿児島や宮崎のルーツにこの上なく感謝している。

だからこそ、俺は俺以外の何者でもないのであって、この名字に固執する必要はないのかなと。

確立されすぎたアイデンティティといった感じか。

家族のルーツ。今の自分自身。これまでの人生に対しては、ひとまず誇りを持っている。

単に強さと言っても、感情や感覚が麻痺させた誰にでも手に入る強さではなく、それらを高水準で維持させながらも感性と向き合い、忍び、言語化し、家族や周りに還元できる次元の違う強さが欲しい。

いろいろあんねんな。タイミングが来たら記すだろう。それでもこの名前を継いでいこう。

本来であれば、ここまでの内容を前回に引き続き、12番目の記事として投稿するはずだった。

1ヶ月も投稿が空いた理由

タイミングが悪かった。悪かったようで良かったのかもしれない。

でも少なくとも自分の愛する人を失ったという意味では、昨年9月から全ての物事が悪い方悪い方へと重なった。

又聞きの外面的な行動に疑念を抱かれ、親友との交友に対しても疑義を抱かれ。

記念日の手紙に対しても上の空で。

俺たちの愛を崩そうとした、もしくは、そんな意識はなくとも余計な情報を彼女に垂らしこんだ奴を私は許さない。

彼女は多分病気だった。気付きようがない病気だった。

本人に自覚がないから本当に怖い病気だ。

向こうの母親の了承もなしに、熊本に飛べるわけがないだろうが。

将来の二人の暮らしと、明日の二人の生活を憂い、焦るように自身のキャリアを決めた。

蓋を開けてみれば、好きじゃなかったとさ。

本当に馬鹿馬鹿しい。

時は戻しようがないが、9月に戻ってもう一度、余計な行動をした自分や外野を殺したい。

いろんなことば、いろんな行動で、それとなく、さりげなく、指し示してきました。

最後の方は直接的になっていたけど、俺よりも彼女に寄り添えるやつがいるなら名乗り出ろ。

ここでは言い表しようのない、不甲斐なさ、悲しさ、怒り、憎悪、宿命、責任、重すぎる何かを感じています。

まずは向こうが親と向きあうべきだったのかなとも思いますけど、そんなことを言うと機嫌を損ねられるので、見守ることしかできませんでした。

本当に苦しい。

ことばのブレイクスルー

一連のドラマを通じて、自分の精神状態の言語化、そしてそれが低迷している時の言語化が意外と難しいことに気づいた。

波風の一切立っていない、もしくはそれらが心地よいものだったとき、言葉はスイスイ出てくるものだが今回は違った。

今ようやく言葉を紡いでいる。というか吐き出している。

私自身の価値観と今年の抱負とはやや程遠いが、まずは言葉をアウトプットするリハビリを。

ゆっくりとその精度と練度を上げていけばいいと思う。

あのドラマは本当に過酷なものだったため、風邪をひいてしまった。腰痛が深刻なものになった。

内側の疲れが表出したように思う。

タイミングといえばそれまでなのだが、心から責任を痛感しています。

でも至極至極難しいものでした。本当に。

事務的にもことばのブレイクスルーを図るために、もう一つ何かを動かそうと思う。

  • この記事を書いた人

涼華

ActionLifeでは皆さんのエネルギーになる情報を丁寧に発信しています。

-Record