忙しかったけど充実はしていなかった
充実のためにこれを記しているわけではないが、この1週間を振り返ると希薄であったような気がする。
目に見えないものと戦っている感覚は相変わらずあった。
積もりゆくメールの山。タスクの数々。習慣の数々。
体力をつけるために、がんばっている。
背中を押してくれればそれだけでいいのに。
欲しいのは金や食べ物ではないのに。
言葉が欲しいんだ。いろんな角度の。
グラデーション 0.0。
ジムのあと走りに行くのをやめた。
これもグラデーション。
こだわるのは大切だが、固執しすぎない。
その日の体調や身体の重さと相談することも大切。
暗黙知について考えた。
伝わらないもどかしさもあるが、さりげない優しさを用いてコンテクストを丁寧に組み立ててきたつもりだ。
それをストレスに感じている俺自身にまだまだ足りない何かがあるのでしょう。
語彙力とかそういうものではなく、言葉の引き出しのレールが錆びている、そんな感覚があります。
優しさだけじゃ恋は辛い
先日「LOVEずっきゅん」を歌いながらお風呂に入っていた。
元はといえば、2010年代のアルバム【J-POP カバー伝説】のⅢかⅣの一部に収録されていた気がするんだ。
相対性理論が歌っていたことを思い出し、初めてMVを見た。
調べていく中で、彼女らが構築する世界観のトリックに感動した。
んでいま、ランニングとジムを終えて、彼女らの楽曲を聴きながら上裸でこれらを記しているわけだが、本当にいい歌詞ですね。
恋や愛を優しさで補完するのは大きな罠であることに気づいた1年間だったように思います。
それに気づかせてくれた、相対性理論に感謝です。
綺麗なだけが美人じゃない
美人ってなんでしょうね。
一途な愛をいろんな形で表現しながら、体現しながら、我が道をゆく。そんな人。
なんとなくこのように記したわけですが、大前提として常識みたいなものは欲しいですね。
第三者のことを「あいつ」と呼ばない、とか。
男を男たらしめるなにかであり、女を女たらしめるなにかは欠如してほしくないです。
言葉は丁寧でありたいと、丁寧というか、鋭さは極力排除した上で聴き心地の良い言葉を吐けるようになりたい。
どんなに追い込まれても。
八方美人じゃないよ
八方美人で悩んでいる友人がいた。
それぞれの人と真剣に向き合っているんなら、それは八方美人じゃないよと伝えた。
そこに私利私欲があったら、あのこと一緒だけど。
打算的な人は周りから人がいなくなるから、同郷のあのこと一緒でね。
少なくとも今の友人は八方美人ではない。
自分が変われてないだけ
またこんなこと書いてたら鬱になっちまうだろうが。
若干のヤケクソも交えながら、キーボードを叩いています。
周りの変化は期待していません。
自分次第なのはわかっています。
でもそこにいるんなら、言葉をかけることくらい、寄り添った言動くらいできないもんか?
俺がもっと変わればいいんですよ。体力もつけて、ジムも頑張って行って。
くれぐれも好きでやってると思うなよ。
俺のストーリーを見ている全員だ。
こんな怒りを発散させようと今日もランニングに行ったんだけど、怒りのあまり、2km超えたところから歩くことしかできなくなった。
彼女のためにと思ってやっていた時期もあったが、バカらしくなってきたからやめた。
今は自分のためにやっている。
なんにも期待しません。なーんにも。
#4 にして...
ネガティブな内容で終わりそうだ。
馬鹿らしいです。涙を浮かべながら。
ポジティブだったものは、ラーメンが美味しかったこと。美味しいお昼ご飯が食べれたこと。
革靴が買えたこと。雨があまり降らなかったこと。犬が可愛かったこと。
ネガティブだったものは、彼女に期待してしまったこと。そんな自分の僭越さが腹立たしくなった。
いつ別れても後悔はない。これは3年半ずっと思っていた。
いまでもいつでもずっと真剣だったが。馬鹿らしさが指数関数的に膨れ上がってきた。
自分の親に対しても、思うことは多々あるが、変えようがないんだよな。
自分の今と未来以外は変えられないんだわ。
苦しいが、とてもとても苦しいが、一年前の苦しさとは違う。
鬱の苦しさとその逃げ方はなんとなく心得ている。
旧友のラジオが3週分くらい溜まっているから、お風呂に浸かりながら聴きたい。
希薄だったのに、ラジオを聴く余白はなかったという矛盾。
来週のテーマになりそうだ。
お風呂入ってこよっと。