2回目っちゅうわけやな
あのあと走りに行きました。
結局帰宅後お風呂に入れずに、地元のクラブを応援しました。
先週日曜午後からのいろいろです。
また考え始めてしまった.
また考え始めてしまった、変えようができない何かについて。
過去のトラウマや将来のことなどを考え込みがち、愛という言葉の響きは一見柔らかそうに見えるけど案外固かったりする。
認知の歪みをなくそう。考えるのをやめよう。
負の循環を止めるため、こうやって書き始めた11.11.18:07
あの本で学んだことを落とし込めきれてない。
泣けないっていいな!
友人が配信している例のラジオの一人に、泣くヒトを見ると不快感を覚える者がいた。グロテスクな何かを見たような感覚になるらしい。
彼の今の価値観がどうであるかはわからないが、非常に羨ましいなと思った。
俺は些細な感動で涙する。旧友と共に食事の席を囲み、酒が入っていなくとも懐かしさや安心感で目が潤う。溢れ出る涙は滅多に出ないが、その食事があまりに美味すぎると稀に頬を伝う。ほんのちょっとだけね。
そんな自分が嫌になることがほとんどだ。彼女の涙が美しいと思えても、自分の涙は美しいとは思えないんだな。だって「俺僕」だもん。
男は泣いちゃいけないというのは、感情に蓋をしろということなのか。
教えてくれよひいばあちゃん。
どんなに感動しても泣くことのない彼の心臓が羨ましい。いつか会って見たいでござる。
嫌悪感を抱かれそうではあるが。
心の不感症について歌った作品があったっけか。RADかサカナだった気がすんねんな。
また思い出したら聴いてみよう。
無論、彼の心が何も感じていないわけではないと思うが。
先週書いた本の話
脊椎反射的に生じる否定的な自動思考は過去の体験、記憶によるものと知った。それはもはや変えられないものだと。だからこそ変えられるものに集中して生きていこうって話だった。
がんばっても報われない、学んできたことが意味をなさない。今思うと、あのときどうにか自分の状況を言語化して周りの大人に助けを求めるべきだったと思う。
周りに助けを乞うことが恥だと思っていた。そんな捻くれた少年だったな。
んでそれらは変えられないからっつう話ね。
完璧を目指すよりまずは終わらせろ。
先週冒頭に書いたけど、こんな記事を書いている自分に億劫になる。
だけど思考の整理を行い内面を表現する上で、文章を書くという行為を終わらせようとしています。
思考とセンチメンタル
本の話からは逸れるが、悩もうと思って悩むことはできないし、俺ほど物事を深く考える者はいないと自負するようになった。
一見ポジティブに捉えることもできるが、考えることに快感を覚えると脱せなくなる。
物事を深く考える自分は大切にしたいが、そこからセンチメンタル的な感情を疎外しよう。思考の最中、考えてる俺かっけぇ...とか感じる余裕はないし、淡々黙々と思いを至らせているからこそなかなか難しい。
逆説的だが、考えている自分を大切にしつつ、物思いに耽る自分は蔑ろにしてもいいかなと思う。
水曜日と価値観
価値観について記す。
①恋愛/友愛/家族愛 問わず、すべての対象への愛を大切にしながらも、関わりの中で生まれてくる調和や違和感を言語化し、俺ぼくの周囲の人に心地よさと幸せを与え笑顔にする。
②自分の人生の舵はとりながらも、最終的には地元に住んで地元に何かしらの形で恩返しをする。
③これまで体得したITやSNSへのノウハウをさらに深めながら、都市計画やまちづくりに対する自身のこれ以上ない深い興味や関心を活かし、変わりゆくまちについて発信することを続ける。
まぁこんなもんか...
あと大前提として、常に自分の人生に対して向上心を持って物事に取り組むという観点も持ち続けよう。
ざっくりしてる方が好ましいらしい。
これ以上の深掘りはここでは避けようと思う。また然るべきときに...
ポジティブだったものネガティブだったもの
・冬場に部屋に差し込むおひさまに感謝
・燻り続けている自分と電話をしてくれた親父に感謝
・こんなサイトを褒めてくれる友人に感謝
・黙って見守ってくれた彼女に感謝
・なんやかんやこれが書けている運命と過去の自分に感謝
・友人が教えてくれたお店2件とも凄まじいホスピタリティ
・冷蔵庫の中がすっからかんで寂しい
(ストレス度 3/10)
・スーパーに行くのが億劫だ
(ストレス度4/10)
・彼女との喧嘩話し合い
(ストレス度8/10)
書きたいことが多いなぁ...
こりゃ週1ペース厳守じゃなくていいかもしれない。
最低週1、適度に修正していきたい。
友人との遅くまでの電話。
言葉の粗が目立つが関わりの中で補正ができたら、いいなと思う。価値観の一つに直結するならばなお光栄。
これまでがこれからを決めるんじゃない。
これからがこれまでを決める。(某監督コーチ)
こっちでキャリアを積むことも間違いじゃない。
正解はないが、間違いもない。
普段のランニングで通る折り返し地点の小さな橋を前にして。
景色を削っていく何本もの通勤列車を芒と見つめながら、様々考えた。
荒い呼吸に意識がとられ、思考の整理とまではいかなかった。
喧嘩。
安直な答えを出したり、非生産的な言動をせずに済んだよく耐えた。
変わることが怖いか。会えない時間が怖いか。
自分だけが淡々と歩み続けるのではなく、歩み寄ることで変わることもできるそんな気がした。
定かではないが。
でも「オラ」は絶対に歩みを止めない。
下を向かない。
これも価値観の一つ目に添えた気がして少し胸が張れる。
おわりに
価値観の一つ目を意識することが多い期間だった。
まだ恥ずかしさは消えきってないが、だいぶマシになった気がする。
後ろのテレビで教育番組が流れとるわ。
ほなまた次回。