はじめに
はじめまして。だれだれろっそ。こと涼火です🔥🐴
こちらでは自己紹介をかねて、ロアッソ熊本に対する関わりと思いを記しています。
少し長い文章ですので、疲れたら読むのやめてくださいね。冒頭だけでロアッソへの思いが伝わればと思います。
ロアッソとの出会い
父に連れられて...
いきなりですが、軽く父について触れます。
父は私が生まれた時にはサッカーで雄叫び、サッカーで涙する人でした。特に日本サッカーのドキュメンタリー映像を見て泣いている姿は深く印象に残っています。
私が4歳か5歳の時です。
サッカーを見にいこうと父に言われ大きなスタジアムに連れて行かれました。まだ小さかったので交通手段や道中の会話は覚えていません。
親父の趣味に付き合わされる感覚、初めて行くスポーツ観戦、生で見るサッカー。悔しいことに対戦相手も結果は覚えていないのです。
覚えているのは、ゴール裏に楽しそうに叫んでる人たちがいて、赤いチームを熱狂的に応援している。私たち家族も赤いチームも応援している。
メインスタンド側から遠巻きに見るピッチやゴール裏との温度差や違和感みたいなものを子供ながら感じたのを覚えています。
のちにそれがロッソ熊本であったことを知ります。
ロッソと共に...
私の生活も、新たな命の誕生や小学校入学などでようやく人生らしくなってきました。
小学校の登下校の帽子は黒いロッソ(ロアッソ)の帽子でした。
あの馬のエンブレム。めちゃくちゃかっこいいよな。
家族みんなで何度も観戦に行きました。電車も好きでしたので、光の森からバスに揺られていくのも一興でした。バスは窮屈で嫌いでした。
今記事を書きながら、ふと父がサッカーを好きでいてくれて良かったと思えました。
当時は(も?)ホームで快勝を重ねるチームではなかったですし、地元クラブをわざわざ遠出して見に行くなんて、幼少期の私には疲労感が勝ることも多かったです。水前寺競技場での観戦はすごくしんどかった笑
先にも記しましたが、ロアッソのゴール裏は憧れでした。
応援チャントの勘違いは酷かったです。
「ロッソと共に我らは生きる。」
→→「くまもとーおーおーわらわらおーおー」
「いつも俺たちがついてるぜ火の国魂 見せようぜ!」
→→「いjgoじゃっhg・・・tあh二人羽織!」
だってメインスタンドから観戦する子供の耳にはそう聞こえたんですもの。
武者返しのチャントもありましたから、和のテイスト繋がりで二人羽織の空耳も間違っていないと思っていました。
武者返しのチャントも好きだったんですが、スポンサー絡みで歌われなくなったのでしょうか?
詳しい方いらっしゃったら教えてください。
とにかくロッソと共に、ロアッソと共に生きていました。
あ。最後に一つだけ...。
ロッソ熊本のチーム名変更について両親が話していたことは強く印象に残っています。
運転している父が助手席の母に話していました。
家の近くの踏切を渡ろうとしていた時に、「ロアッソ熊本」と聞かされ当時の印象としては非常に残念だったのを覚えています。アリエットとかで良かったのに...
今はもちろん愛してやまないですが。
ロアッソとの別れ
恥ずかしながら、一度だけロアッソ熊本から離れたことがあります。
それは熊本地震がきっかけです。
あのシーズン序盤は好発進でした。毎晩順位表を見て胸を躍らせていました。今シーズンこそJ1が見えてくるかも,,,と思った矢先の被災でした。
ホームスタジアムが使えなくなりがらも、鳥栖さんや柏さんの力をお借りしながら戦い抜けたこと、SNSなどを通じて知りました。
感謝しています。
自身は県南...と言っても熊本のお腹のところですが, 気づけばロアッソ熊本のことはどこか他人事になっていました。
大地震で混乱していましたから、日々の生活への不安に気を取られ、次第に関心が薄まったのです。
ついに降格...
ふと気づくとJ3というカテゴリーが新設され、宮崎や鹿児島(肌感としては長崎もですが...)馴染みのないチームが台頭してきました。
2019年。ついに降格します。
ヨワッソ熊本。小学生の時に敗戦後のスタジアムかどこかで揶揄された記憶が蘇りました。
結局のところ、彼らは子供たちに夢を、県民に元気をと囃し立てながら、肝心の述語部分は「子どもたちに夢を見させない、県民に元気を与えない」。
J3降格は、あの夕暮れのスタジアムで赤いチームに胸躍らせた幼い頃の自分を大いに辱めました。
被災でチームも大変だったと思います。
しかし降格の二文字と、幼少期の憧れの眼差しで見たあのチームのギャップを受け入れられませんでした。
ロアッソとの再会
J3優勝
ロアッソを見なくなっても海外サッカーは見ていたもので...
ある日突然、YouTubeのおすすめ欄にロアッソのサムネイルが出てきました。
ようやく戻ってきたか...
J2に戻ってきたロアッソに対して、嬉しくもあり、必然でもあるといった認識でした。
ハイライトを見ました。本当に面白いサッカーをするチームに進化していました。
全ては監督さんをはじめとする、選手スタッフ、サポーターさんのおかげだと思います。
状況が状況だったとはいえ、降格後目を瞑ってしまった自分が情けなく思います。
変わらず応援を続けた方々には心から敬意を払います。
幼なじみの入団
選手名や詳しい時期など詳細は避けますが、幼稚園から共にボールを蹴ってきた友人が入団しました。
著者はキャプテン、彼は副キャプテンとして共にチームをまとめていました。写真あります。祖父の家に飾られています。
一緒に戦った日々は本当に楽しかったな。
彼は幼少期からゴール裏にいたみたいで、少し嫉妬していますが笑
高校時代に対戦した際、彼のポジションは幼少期から変わっていました。
それでも相変わらず上手かったですし、私のチームに対して脅威となっていました。もちろんロアッソ入団も驚きではありませんでした。
友人のためにもまた応援しよう。
そう決心しました。
プレーオフ京都戦
ここまでくると自己紹介の域を超えてしまいますが...。
ついに念願だったゴール裏ではじめて観戦することができました。
とにかく楽しかった。マスク苦しかった。でも楽しかった。
夢のJ1までボール一個分だった故に、そりゃまあ涙しましたわな。父親譲りのロアッソ遺伝子が覚醒しました。
J3降格と京都戦だけを切り抜くと都合のいいサポーターかもしれませんが、
涙して思ったのは結局MYクラブの意識が薄まっていただけのかなということ。
結局のとこ、私たちに流れているのは赤色の血だし、熱い熱い火の国魂があるわけで。
後日、サッカー部の友人でさえもロアッソの応援に行ったことがないと知って、数え切れないロアサポの卵が眠っているんだと思ったわけです。
話が逸れるので別の機会に記します。
終わりに
長い長い自己紹介でした。読んでくれている人はいないと思います。
ここまで呼んでくださった方、もしいらっしゃたら本当に本当にありがとうございます。
お伝えしたいことはたくさんありますが、また別の記事で...
ロアッソ熊本のために、微力ながらも今後も発信を続けていきます。
目を瞑った時期受け入れられなかった期間があります。
それでも熊本が好きです。ロアッソ熊本が好きです。
ロッソと共に。ロアッソと共に。
バモスロッソ、だれだれろっそ。
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